竹内 次郎さん
竹内次郎氏(89歳)、OBの男性の中で最高齢ですが、とてもお元気でした。
彼にインタビューをしました。
(河合さん(1970年卒)、門間さん(1991年卒)、持永(1975年卒)
竹内氏は大正14年12月東京両国生まれ
1945年 特攻基地鹿児島知覧で終戦
1946年 明治大学入学
1952年 明治大学商学部卒
1963年 松浦製本株式会社専務取締役就任代表取締役に就任
1994年 松浦製本株式会社廃業
H27.1月29日に善福寺の木曽路でお会いして、食事をしながらインタビューをしまいた。
持)生まれはどこですか。
竹)下町の両国で生まれ、中学を卒業後東京計器に入社した。当時は大学に行く人がすくなく、殆どが工業あるいは商業学校を卒業して就職していた。自分も働き始めたが、やがて軍隊に入隊し飛行機の整備兵をし、知覧で終戦を迎えた。東京に帰路の途中広島で街をみて廃墟のひどさを目の当たりにした。その悲惨さを今も覚えていますよ。
持)何故、明治に入学したのですか。
竹)戦後、やはり学問が必要と考え、大学の入学を決意。大学に入ることを考えてお茶の水の駿台予備校に半年通った。英語の教師から英語の才能があるとほめられました。早稲田は難しいので明治に入学、英語の才能を生かしESSに入部。そこでは毎日英語で部員同士が話すなど活動をしていました。 また先輩のケネス原氏(ESS OB)が軽井沢に一軒家を借りて夏はそこで合宿、英語だけの生活を送りました。ただ、食糧は持参してするという合宿でした。本当に合宿は楽しく、学生時代の一番の思い出です。
持)学生時代にアルバイトは何をしていたのですか。
竹)実家の隣がメリヤス屋だったので、下着を売って歩いていました。また、英語を勉強になると思い英国大使館でガードマンをやっていましたが、全く相手にされなかったので2カ月でやめるなど、数多くのアルバイトをしました。
持)卒業後のお仕事は? 最初はGHQの不用品等を集めてきて、それを販売するなどしていた。結婚した際 妻の実家が製本屋であったので、製本業を営み65歳で後継者が見つからず廃業しました。 廃業後は好きなことをして過ごしています。書道や写経の会に入って作品をつくる。四国88カ寺1500km徒歩で遍路など・・・。
持)若い人へのアドバイスをお願いします。 人生は山あり谷ありだけど、元気でいればきっと良いことに出会います。健康が一番、明るく前向きに生きて欲しい。