村上 雅哉さん

明治大学英語部のOBであり、実業界で活躍されている、村上雅哉さんを訪問しました。

プロフィール

横浜市出身

1976年 明治大学入学後ESS入部、ディベートセクション、プレジデント

1979年 野崎産業(食品関係の中堅商社)入社

1997年 NORLAKE INTERNATIONAL(NI) 設立(カナダから牛肉等輸入)

現在、  NORLAKE INTERNATIONAL 代表取締役

     年商50億円 社員はパートを含め40名

     NI社のビジネスはイタリアを中心に欧米から食料品、ワイン等を輸入

     最近では「ワインと生ハムを楽しむレストラン」と「本格的なイタリアピッツアを

     楽しめる」レストランを2店経営している。

一問一答

持永)何故英語部に入ったのですか。

村上)英語に興味があり、今後社会で必要になると思ったので。

ただ、英語部に入部しましたが、アルバイト等で2年の前半までクラブにはあまり参加して

いませんでした。

2年の夏合宿でディベートを経験し、おもしろさを実感。その後は一所懸命にディベート活動に

のめりこみました。

持永)英語部では何を?

村上)3年からプレジデントになりました。あまり活動に参加していなかったのにプレになったので、批判はありました。3年ではKUEL5人制出場、また上智杯に出場しました。

 

持永)クラブでの一番の思い出は

村上)5人制のプロポジションが「Japan should ratify peace and friendship treaty with Peoples Republic of China」というものでした。Affのコンストのアイディアが全く浮かばず悩んでいました。その時、昭和47年卒の中野さんに相談したら、彼が素晴らしいアイディアをおしえてくれました。それをコンストにまとめて試合にのぞみましました。他校は思いも付かないアイディアだったのでAffでどんどん勝つことができました。中野さんには感謝しています。

ただ、最終的には秋の全日本5人制ディベートでは準決勝で現在NHKの「大人の基礎英語」の講師をしている青学の松本茂氏〔現立教教授〕に上智杯でのリベンジに会い、敗れてしまいました。しかし明治のAffirmativeの独自性を大会では示す事ができ、悔しいながらも同期ともども達成感を感じる事ができました。

 

持永)4年生では何を?

村上)ESSの活動はあまりやりませんでしたが就職活動をしていました。成績はあまりよくなかったので、一流商社は無理でしたが、野崎産業に何とか入社できました。

中堅商社でしたので、入社時から責任の思い仕事を任され、また英語ができたので2年目にNYへ転勤になりました。そこで牛肉の買い付け、日本や東南アジアに販売するというビジネスをしていました。日本に戻り輸入した食料品を使ったレストランを開く、あるいはベトナムで野菜を作ってそれを日本に売り込むなどのビジネスを担当していました。

37才でロスの支店長になり、カリフォルニアの野菜を日本に輸出する、メキシコでメロンを栽培するなどのビジネスをしていました。

持永)何故、独立したのですか。

村上)97年に金融危機が起こり野崎産業のメインバンクである東銀が不振になり、サブであった北海道拓殖銀行が倒産するなどで、野崎産業も苦しくなってきました。仕事もだんだんおもしろくなくなってきました。そんな時にNIから日本の駐在事務所を設立するので、協力して欲しいと依頼され、退職し97年に駐在員事務所を設立、98年に自分でNIの名前を借りて、日本法人を設立しました。

ただ、野崎産業を退職しているので、資金の面では苦労しました。しかし、サラリーマン時代にお付き合いしていた、乙仲さんや倉庫業者さんが資金面ですごく協力してくださり、売上げが上がってからの支払いでよいということで、なんとかビジネスを続けていくことができました。

現在はイタリア系の食材商社としては3番目の規模まで成長しました。お陰様で昨年創立20周年を迎えることができました。海外のお客様や創業時に助けてくれた協力会社さんを皆さん招いて小さなパーティを開催しました。皆さんのご協力でここまで来れたわけで、すごく感謝しています。

持永)具体的にはどのような活動をしているのですか。

村上)輸入した商品を国内のスーパーや外食産業に卸しています。例えばイトーヨーカ堂やイオン、また外食産業、例えばスカイラーク、ゼンショー等にです。

 また伊藤忠と共同で商品開発を行い、その商品をファミリーマートのようなコンビニで扱かってもらうというビジネスです。また自社ブランド商品(さばの煮付け、イワシの缶詰)をタイで作って、日本に輸入するなどをしています。

 

持永)今後はどのようにビジネスを伸ばしていくのですか。

村上)とりあえずの目標は今後5年程度で100億円の目標を目指しています。これが達成できるとイタリア系の食材商社としては国内でトップになれます。そのためには自社ブランド品の拡販をするなどしていかねばなりません。毎日取引先を精力的に動き回り、取引先企業との商談やお付き合いをし、帰宅するので帰宅は真夜中という感じです。

   

持永)先輩から後輩へのアドバイスを御願いします。

村上)現在は、大学を卒業し大企業に入社したら一生安泰という時代は終わりました。例えばシャープ、東芝をみればわかると思います。一流の企業でもあっという間に躓きます。そういう時代を生きていくうえで重要なのは、やはり自分のキャリアを磨いていくことだと思います。私は英語で海外からの食料品を輸入し、それを売り込むビジネスをしてきました。この世界では大手商社の人にも負けないという自信をもっています。これから社会に出る人も自分はどんなキャリアを磨くのか、何を武器にしていくのかを決めて、自分自身のキャリアを高めていって欲しいです。そうすれば、働いている企業が倒産してもなんの問題もありません。自分の力で生きていくことができます。私は野崎産業という中堅に入社したので、若いときから早く一人前になるような教育を受けさせられました。大手企業はどうしても歯車のひとつになってしまいますが、中堅企業だったので、早く一人前に成長できました。卒業したら、盲目的に大手に就職するという志向ではなく、自分はどんな人生あるいはキャリアをつけていきたいかを考えて、就職をきめてほしいですね。

持永)私も大企業で30年働いた後、脱サラし小さな企業を経営していますが、小さな企業は大企業に比べて、不安も大きいですが、自分のやりたいことができるので、やりがいを感じますね。自分には小さな企業の経営があっているように感じました。

本日はご多忙のところありがとうございました。

聞き手:持永和明(1975年卒業)

 

おすすめ