和田 泰冶さん
会議通訳者 ・ ISS インスティテュート/英語通訳者養成コース講師
1983年明治大学文学部文学科(英米文学専攻)卒業。
英語部ディベートセクションチーフ
旅行会社、マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年より会議通訳者。 現在は ISS インスティテュートにて英語通訳者養成コースの講師も務める。
83年卒の和田泰冶でございます。英語部ではディベートセクションで活動させて頂きました。学生時代は英語部やディベートのことしか記憶に残っていないほど濃密な毎日でした。社会人となって約13年間は旅行会社や広告会社に勤務し、通訳の専門学校で学んだのち95年より通訳を生業としています。
95年という年は、自分自身も会社勤めからフリーの身になり、通訳業という大海に漕ぎ出した人生の転換点でもありましたが、阪神淡路大震災が発生し、オウム真理教事件が社会を震撼させたことで記憶に刻まれた年でもあります。その時から数えて通訳歴はもう25年になりますが、通訳というプロセスはディベートの延長線上にあるというのが私の考え方です。だからこそ、自分自身のキャリアの最終的な帰結として通訳者に辿り着いたのだと思っています。
学生時代に英語部やディベートに出会わなければ、現在の通訳者としての自分は存在せず、人生も全く違ったものになっていたでしょう。本稿では、英語部でのディベートの経験がどのように通訳に結びついていったのかについてお話したいと思います。
そもそも通訳とは語学力のある人間の職業であり、通訳者は語学のプロフェッショナルだとどなたもお考えでしょう。私自身も当初はそう考えていました、通訳スクールに通うことにした時も、あくまで語学を磨くためだけが目的でした。「どうせ語学オタクや帰国子女の巣窟だろう。つまらん」くらいにしか考えていませんでした。しかし、暫く通訳の勉強をしているうちに、かなり印象が変わってきました。通訳スクールの授業で出される課題を通訳するうちに、これはかなりディベートの発想や学習法が役に立つと気づき始めました。
極端に言い切ってしまえば、「通訳とは、単に言葉を置き換えたり変換する作業ではなく、話し手が伝えようとするコンテンツを通訳者が理解し説明し直すことである」ということです。Aというスピーカーが話した表層的な言葉から、このスピーカーが伝えようとしていることを理解あるいは類推し、通訳者自身の言葉や表現で、聴き手のBさんが理解できるように説明し直すということです。
スピーカーの発する言葉はあくまで真実の影であり、通訳者は言葉の奥にある真実を伝えねばならないのです。仏法の「月を指す指」と同じです。指し示す指ではなく、その先の月こそが仏法の真理だという教えです(映画「燃えよドラゴン」の中でブルース・リーが弟子に同じ説教をしている有名なシーンがあります)。
通訳者にとって語学力は言うまでも無く必須です。言葉を知らなければそこから先の真理に辿り着くことはできません。経典を読み込めなくては、やはり仏法の不可思議を理解することはできないのです。プロの通訳者となった現在も、毎日最大限の努力を払い語学力の向上に取り組んでいます。
しかし、本当の意味で通訳の優劣を決めるのはその先です。伝えるべきコンテンツや意図を咀嚼したうえで、通訳者自身の言葉でプレゼンテーションし、聞き手に理解させなければならない。そのためには事前にテーマについての充分な知識を学習しておく必要があり、プレゼンテーションにはパブリックスピーチとしての高いスキルを要求される。まさに英語部やディベートで経験してきた全てを活かすことができると思い至りました。
本格的に通訳者の道へ進もうと決意したのはそれからです。あらためてディベートの古典”The Elements of Debate”を読み返し、論理的に説明するためのスキルを学習し直したのもこの時期でした。
しかし、それでもまだ、完全に自分自身の通訳のスタイルを確固たるものとすることはできませんでした。どうしても真実の影である表層的な言葉に囚われてしまう。指から先の月が見えない。そんな試行錯誤が決定的に解決したのは、通訳スクールで同時通訳科というクラスに進級した直後でした。何と授業の最初の課題が落語の通訳だったのです。
天才と謳われた故桂枝雀は英語で落語を演じていましたが、その枝雀師匠が実際に日本語で演じている落語を英語に同時通訳するという課題が課されました。演目は確か「愛宕山」だ ったと記憶していますが、落語ですから笑わせなくではいけない、ストーリーの展開をただ英語で話すだけでは落語にならない、日本人と外国人のユーモアに対する感覚はどう違うのだろう、日本語特有の語感のおもしろさはどうしたら英語で表現できるのか、そして何と言っても話し方。当然のことながら枝雀師匠のように語ることなどできるわけもありませんが、リズム、ペース、トーン、ピッチ、間の取り方等、語りで笑わせることも落語には不可分な要素です。
必死に練習しました。まさに表層的な言葉を超越した究極の通訳です。四苦八苦しながら何とか演習を終えた段階で、枝雀師匠の英語での実演が参考資料として受講生に配布されたのですが、その英語の落語を聴いた時の衝撃は今でも言葉にすることが出来ません。言葉の一字一句から、話術のスキルに至るまで全てが完璧。今日に至るまで、桂枝雀の英語落語は私の通訳の究極のバイブルとなっています。
そんなこんなで四半世紀が経ちました。61 歳を迎えた現在、ディベートと落語を基盤として目指すところは、聴き手にとって全く違和感の無い、あたかも通訳者がそこに存在していないかのような、話し手と完全に同化した「天衣無縫」の通訳です。一生かかっても実現できないであろう壮大な目標ではありますが、老体に鞭打ってさらに精進を続けてゆきたいと思っています。そして、あらためて英語部とディベートに明け暮れた日々に毎日心から感謝しています。
最後に、明治大学英語部の現役部員の皆さんと、厳しい状況の中、就職活動をなさっている皆さんへメッセージを送らせて頂きたいと思います。
大学では英米文学を専攻し、卒業後は複数の業界の国際部門で実務を経験し、通訳スクールで勉強したのちに通訳者となりましたが、これまで様々な方法で英語を勉強してきました。その経験を通してはっきり言えることは、英語部の活動は、それがディベートであれ、ディスカッシ ョンであれ、ドラマであれ、スピーチであれ、単に言葉を学ぶだけでは絶対に実現できない、多様なコンテンツと語学の習得が密接に一体化した経験をさせてくれる唯一無二の活動だということです。通訳スクールの中でも、受講生の表現力を磨くためにドラマやディスカッションを取り入れてみてはどうかと言っている講師もいます。他では絶対に経験することのできない貴重な英語部での活動に自信を持って取り組んで下さい。
就職活動をしている皆さんには、自分自身の感性を大切にして頂きたいと思います。専攻した学部に関連した業種や景気の良い業界、給料の高い会社、海外で仕事ができるところ・・・・・いろいろな選択基準はあると思いますが、最終的に最も重要なのは「性が合うかどうか」でしょう。英語で言うなら”chemistry”です。「とてつもなく辛くて大変だったはずなのに、何故だかまたチャレンジしてみたくなる」そんな気持ちにさせてくれる生業と出会えたなら、それこそが天職だと思います。
若い皆さんの前には果てしのない大海原が広がっています。何を発見するか。誰と出会うか。海図の無い航海を存分に楽しんで下さい。
*ディベートと通訳につきましては、現在講師をしております ISS インスティテュートのスクールブログで数年前に詳しく執筆したものがございます。ご興味のある方は、お時間のある時にでもご覧下さい。
https://haken.issjp.com/articles/careers/ya_wada_01