栗田 裕之さん
今月の会員便りは、栗田裕之さんからです。
栗田さんは現在、あおぞら銀行のIT部門に勤務されています。
栗田裕之さんは、1983年(S58)に法学部を卒業されました。
学生時代は、学業とESSの活動を見事に両立された数少ない存在でした。ディスカッションセクションに所属し、KUEL主催のStudent Assembly では同期の山内晴雄さん、1年後輩の西沢加寿子さんと共にBest Discussant に選ばれる快挙を成し遂げました。当時周囲からは「好青年」と呼ばれ、いつも爽やかで温和なキャラクターが印象的でした。
卒業後は、日本債券信用銀行(日債銀、現あおぞら銀行)に入行し、ロンドン支店勤務など国際業務に携わった後、IT部門でシステムの企画・開発などで活躍して現在に至っています。
還暦を過ぎた今も、当時の面影を残していらっしゃいます。
後輩の方々に何か少しでも参考になることでもあればとうっかり依頼をお引き受けしたものの、何か書こうとして途方に暮れました。とりあえず、私の大学卒業後の経歴を簡単に記すと「1983年3月卒業、銀行に就職、定年、再雇用、現在に至る」とこれだけなのですが、さすがにこれでは話が続かないので、二つほど私にとって転機になるような出来事(イベント)についてお話したいと思います。
ひとつは、勤務先の銀行が破綻したことです(但し、破綻と言っても実質国有化という形をとって会社は一応存続したので、ふつうの事業会社の場合と違ってかなり特異な事例かもしれません)。この時期(1997年〜98年頃)、ほかにいくつもの銀行、証券会社等が相次いで破綻しました(中には廃業した会社もありました)。その理由や背景を考えてみると、これらの企業が偶然ほぼ同時期に一様に経営を誤ったので破綻したという説明には無理があり、そこには何か必然のようなものがあったのではないかと私は思います。
遡ってみると、私が就職した1980年代当時から金融機関の有り様は既に時代の要請にそぐわなくなっているという話はあり、結局のところはその矛盾が目に見える形になって現れたというようなことだったのかもしれません(あくまで個人的な見方ですが)。
もうひとつは、1990年代前半に4年間ロンドンに勤務していたときの話になります。実際にご経験された方もおられるかと思いますが、日本に比べて緯度が高く、冬はやたらと早く暗くなり慣れないうちは結構気が滅入ります。そればかりは仕方ないのですが、彼の地のインフラはおしなべて古く(水道管の破裂、ATMの故障は珍しくなく、運転中に交差点で信号が消えていたことも)、また、繁華街に出かけると若者たちが手持ち無沙汰にして、中には物乞いしている人も目にしました。それやこれやで、ここは随分草臥れた社会だという印象を拭えませんでした。おまけに市中で時々テロが起き、職場の近くでも何度か爆発が起きていました(当時北アイルランドのイギリスからの分離独立を目指すIRAという組織が起こしたものでした)。
はや30年ほど前の話で隔世の感がありますが、今振り返ってみると、この時に受けた印象は、自分の中では不思議と現在の日本と重なって見える部分が少なくないと感じます。当時の日本はといえば、既にバブルが弾けかけ(金融機関の破綻が始まったのはそれから数年後のことです)、また戦後盛んに造られたインフラは次第に老朽化が進んでいたはずなのですが、当時はまだまだ活力があるように思っていました。そう見えていたのは私だけかもしれませんが。
さて、ここから話が一気に飛躍することをお許しください。これら二つの話を通じて私の中に浮かんできたキーワードは、少々仰々しいのですが「歴史の必然」というようなものです。日々社会生活の中で出会うさまざまな出来事に身を任せていると、強いストレスを受けることもありますが、その半面で、それなりに充実感が得られて楽しいと感じることもあるかと思います(私自身、両方の経験をしました)。ただ、一歩下がって眺めてみると、それは歴史の必然とでもいうような流れの中での時間の経過に過ぎない気がしてきます。例えば、目の前で何か大きなイベントが起きて初めて知ったと思ったことでも、実は既にほかの場所で目にしていながらその時は無意識にスルーしており、後で振り返ると、あの時目にしたものは、実は今目の前にあるものと同じだったということもあるかもしれません。
このように考えると、歴史に学ぶということが大切に思えてくるのです。ここでいう歴史に学ぶということの意味は、誤解を恐れずに言うと、日本史とか世界史というちまちました縦割りの受験勉強の延長のようなことでなく、日々自分自身が直接的に、あるいは間接的に(本、SNSその他様々な媒体を通じて)接した情報を自分なりに有機的に関連づけてとらえ、そこに通底するものを糧にして、その後の人生に向き合っていく姿勢とでも表現すればいいと思います(ここはもっとシンプルに表現したかったのですが、なかなか難しくてできませんでした)。偉そうに歴史に学ぶなどと言ってみたところで、実際には日々いろいろ想定外のことが起きて物事があらぬ方向に進むことも経験するとは思いますが、それでもこのような姿勢を持ち続けて行動することに意味があると思っています。
最後に現役生の方々に向けて。皆さんには実に様々な可能性があることは間違い無いのですが、ご自身にとっては混沌として、悶々と迷ったりすることがあって当然と思います。それでもいろいろな可能性を次々と追求していけば、混沌とした中から何か光が見えてくるのではないかと思います。大事なのは、他人と比べることに意味はないということだと思います。どうかご自身を大切にして将来に向き合ってください。
追記:
- この原稿を書き終えてほっとしていた矢先、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースに接しました。このようなときにこそ歴史に学ぶことが大事なのかもしれませんが、よもやこの言葉をこんな文脈の中で使うことになるとは思ってもおらず、とても複雑な気持ちでいます。
- 当時のロンドンの様子を随分ネガティブに記してしまいましたが、その半面でポジティブな発見もいろいろありました。先ほどの例を引き合いに出せば、信号が消えた交差点の停止線前に横一列に並んだ車は、警官が交通整理していた訳でもないのに、一列ずつ交互に譲り合って整然と交差点を通過していました。レジリエンスがあるということかもしれません。ここでこれ以上は触れませんが、一言付け加えておきます。