輪座 克彦さん
明治大学英語部のOB(1974年卒業)であり、現在もテレビ番組関連の仕事に携わっている輪座克彦さんにお話をお聞きしました。輪座さんには明治大学の海外留学生支援活動にもシニアアドバイザーとしてサポート活動にご尽力いただきました。
略歴
1974年商学部卒
卒業後BBC(英国放送協会)が制作したテレビ番組を日本に紹介、配給業務に携わる。英国BBCが制作した多くの貴重で興味深い番組を数多くNHKをはじめ日本の放送局などに配給してきた。そのためマスコミ業界に広く知られる人物である。
2000年BBCワールドワイドジャパン初代社長に就任。2011年に定年退職。
2012年11月に英国への貢献を高く評価されエリザベス女王より大英勲章OBEを受章。現在BBCワールドジャパンをはじめ複数の英国のテレビ番組関連会社の日本代表や役員を務める。
<インタビュー>
持永)なぜESSに入ったのですか。
輪座)明治高校時代からESSでドラマなど活動をしていた。大学ではどのクラブにも所属することは考えず、楽しい学生生活を夢見ていた。特に明治高校は男子校なので、大学ではかわいい女子大生とのデートに憧れていた。
入学後たまたまS48年卒の鈴木眞悟さん(明治高校時代のESS先輩)から入部を強引に勧められ渋々入部した。学生時代は勉強とクラブ活動を両立した。セクションはドラマ。部員が最後は一人だけになり苦労したが、他の部員たちがとても助けてくれた。いまでもとても感謝しています。すごく充実した学生生活であった。
大学2年の時にドラセクの先輩の牛田さんに勧めらMP(Model Productionー関東の各大学のドラマ好きのメンバーが集まり、毎年5月に英語劇を発表する。同期に中村雅俊(慶応)もいた)に参加。人生の大きな転機となった。
ドラマの先輩は素晴らしく本当に楽しい学生生活であった。
たまたまMPで奈良橋陽子さんに出会い、その縁でBBCの仕事をオファーされた。実家の文房具店を長男として継ぐことになっていたので、BBCに数年のつもりで勤務した。やっているうちに面白くなり、実家を継ぐことをやめ、BBCに定年まで勤務した。
今考えれば文房具業界は斜陽化したので、良い選択であったと思う。
今、人生を振り返るととても人との出会いに感動を覚える。もし鈴木先輩に出会わなければESSに入部しなかったし、もし牛田先輩に会わなければMPに参加しなかったし、もし奈良橋さんに会わなければBBCにいくこともなかった。人との出会い、人間関係がいかに重要か痛感している。
持永)BBCでのお仕事はどうだったのですか。
輪座)英国の番組(例えば動物の生態を紹介する番組、人種差別をレポートする番組、シェークスピア劇場等)を国内で売るのは苦労した。
当時はパソコンがないので、手書きの原稿を用意して、TV会社にプレゼンし売り込みにいった。当時は銀座の伊東屋でいろいろな文字を購入し、それを切り貼りしてプレゼン用の資料なども作成した。
やがてワープロが出現は夢のようだった。資料作りが楽しくなり、売り上げも上がってきた。かなりの額の年間予算を達成する苦労は多かったが、何とかノルマはクリアできた。
英国に駐在することはなかったが、毎年3回ほど会議等で英国やカンヌに出張していた。ひたすら仕事で観光する時間は皆無。
英国と日本を何度も往復してきたので、英国には多くの放送関係の友人ができた。
BBCの会長が来日時はカラオケや築地の魚河岸にお連れした。60歳で定年になった時も、今では考えられない規模の退職パーティを開催してもらい、英国から多くの友人のビデオメッセージが届いた。本当に嬉しかった。今まで築いた人間関係は現在財産になっている。
BBCワールドワイドジャパンを退職後も英国の友人から日本での仕事を頼まれるので、現在BBCワールドジャパンの取締役の他数社の仕事を引き受けている。66歳になった今も仕事や遊びで忙しい日々を送っている。ただ、極力自分のやりたい事だけを好きな友人たちと楽しくやるように心がけている。
持永)最後に現役学生へアドバイスを
輪座)「日本から飛び出せ」と言いたい。それは自分が若い時にしてこなかったから特に痛感している。外から日本を見ないと日本の事はわからない。外へ出れば言葉も覚える、価値観の違う人と出会う。その結果、人間の幅が広がり、素敵な人生が送れるハズ?