吉岡 淳一郎さん
駿台ESSのOB、OG各世代からの会員だよりを4月も終わりになりましたが、皆様にお届けいたしたいと思います。
今回は、1982年卒 ディベートセクション所属だった吉岡淳一郎さんです。吉岡淳一郎さんは、現在、韓国三菱エレベーターの代表取締役社長。30代 バンコク(4年半)、40代 ロンドン(4年半)、50代 ベトナム・ホーチミン(3年)、シンガポール(3年) それぞれの海外勤務を経て、現在、韓国・ソウルにて在住。吉岡さんの海外での勤務は、18年以上に及びます。彼独特の思いのある原稿をいただきました。ぜひご一読ください。
吉岡 淳一郎 さん
1982年明治大学商学部卒
71代英語部 ディベートセクション
現在、韓国三菱エレベーター社 代表取締役社長
「半生を反省する」
DUPLO製の印刷機
入学はS53(1978)年、商学部である。
当初、体同連のアメフト部に所属していたが、バワーズ先生の英会話(1,2年生合同)講座を履修、教材はミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」で、授業で隣り合わせた英語部1年先輩の矢島さん(当時、和泉コミッティ委員長)と武田さん(当時、和泉コミッティ渉外で、現在、政経学部教授)に触発され転部を決意した。
2年次には和泉コミッティの委員長を拝命。
当時の日常は、部室にあった「DUPLO製の印刷機」を駆使して和泉校舎の部員へ向け書類を発刊、またイベント前は歴代で継承されてきた「アルファベットの型紙」を使って英文のバナーを作成する日々を送っていた。
3年になり、駿河台キャンパスに移ってからはKUEL連盟委員を務め、ディベートセクションに属していたが、さしたる貢献も出来ずに卒業した。
S57(1982)年卒業、三菱電機に入社した。
以降、現在まで海外6カ国を転々として、目下、韓国で4年目を迎えている。赴任地は20歳台に北京(1年の語学研修)、30歳台にバンコク(4年半)、40歳台はロンドンに(4年半)駐在。50歳を過ぎてホーチミン(3年)勤務となり、シンガポール(3年)を経て現在の韓国勤務に至る。
2011年12月着任のベトナム以降、現地会社の社長を務めている。ここからの三カ国、丸9年の経験の一部を綴ってみたい。
IQとEQ
2011年末から3か年、ベトナム南部の商都ホーチミン市に駐在した。
当時、奇遇にも前述の武田さんと幾度か面談の機会を得た。ベトナムでの社内言語は英語であったが、会議では一目瞭然の「チャート(主に模式図)」を白板に書いて理解を深める必要があった。
学生時代のディベートで培ったチャート作成の経験が役立った事は言うまでもない。また社員の平均年齢が28歳と若く、会議で素朴な疑問が数多く発せられた。「いくらIQが高くても、EQを高めてベトナム社会に貢献しないとダメだ」と力説していたら、「IQとEQとの違い」について問われた。
咄嗟に考えて白板で説明した内容が、我ながら面白いと思うので紹介したい。使用したチャートは次の通りである。
両者(IQとEQ)について(長さと方向とを有する)ベクトルで説明した。仮にIQ120の秀才がいたとする。但し、このご仁は自我が強く「世の為、ひとの為」方向から60度そっぽを向いている。
(ℓ1ベクトルとして左図に表示)この場合、「世の為、人の為」の軸上では(ℓ2ベクトルとして表示の通り)ベクトルの長さが120から半分の60になる。即ち「世の為、人の為」の視点、これがEQというもので数値は60に半減するよ、という説明をした。どんなに頭脳明晰であっても、才能(IQ)を正しい方向に使わないと意味がないよ、と伝えたと同時に、自分自身も管理者として若くて有能なベトナム人社員を正しい方向に導く責任を痛感した次第である。
河口湖畔 夏合宿
2015年4月に着任したシンガポールは、島の両端まで車で1時間程度の狭い国土に高層ビルとHDB(公営国民アパート)とが林立する都市国家である。ここで3年ほどエレベーターの仕事(販売、据付、保守)に携わった。
ビル関係の顧客と面談中に「ソフトボールの経験があるか?」と問われ、「学生時代に遊び程度ですが」と答えたらチームに加入させられた。経験というのは河口湖畔の英語部夏合宿でのソフトボール大会のことである。
前掲のプロフィール写真は、シンガポールでの練習ユニフォーム姿である。赤道直下ゆえ試合は1時間縛りで行われる。元来、運動神経に秀でたタイプではないが、チームにシンガポールの元代表もおり、手取り足取りの指導を仰ぎ、試合の勝敗が決まった段階での代打、そして守備はライトで起用された。河口湖の英語部・夏合宿での思い出がある。
ソフトボールの試合でピッチャーを任された時のこと、内野ゴロの送球を当時2年生の矢島さん(前述)が1塁手でエラー。これをピッチャーサークルから若気の至りで少しなじったら試合後に武田さん(前述)からこっぴどく叱られた。また野球で思い出したが、英語部同期に今年の選抜高校野球で久々に甲子園を沸かせた天理のピッチャー経験者(エースではないが)がいた。また栃木の小山高校でセンターを守り甲子園に出た猛者もいた。
不買運動
熱帯での二カ国勤務6年を経て、2018年3月末に韓国へ着任した。メーカー屋としての総決算に相応しいエレベーターの販売・製造(R&D、設計を含む)・工事・保守の一貫事業を担う会社を任された。
時の政党は労働者層を基盤とする文在寅・進歩政権である。着任して1年を過ぎた2019年夏頃から日本品の不買運動が起きた。スーパーで売られていた日本産のビールはあっという間に売り場から撤去された。またモールのキーテナントとして集客を期待された日系アパレルU社も店舗内は閑古鳥状態。
当社製品は20年以上の耐久性を求められるビル設備であるが、消費財同様に不買運動の影響を受けた。「縦の公共交通機関(昇降機)」としての役割を担う会社活動が政治問題で翻弄されぬよう、またユーザー殿が20年先に後悔しない正しい選択をして頂く為に、誠心誠意で当社品の品質・信頼性を説いて回った。
前任の韓国人社長が地道に行った品質改善活動の蓄積のお蔭もあり、過去から不定期に起こる不買運動の経営インパクトを最小限に抑えることが出来た。ありきたりではあるが「真面目が一番、誠意は通じる」ということを実感した。
明治大学英語部現役生の皆さんへ
最後に、現役生へ向けて一筆啓上する。
コロナ禍で益々不透明感漂う世の中になり就職を含めた将来に不安を抱く諸氏は多いと思うが、皆さんには個性という宝がある。
この個性的な能力を生かし、そのひとしか成しえない社会での役割は必ずある。鍵は個性とその役割とのマッチングであろう。ヒントは前述の「IQとEQ」にあるように思う。
自分自身も30歳代までは明治仕込みのパワーで突進はしていたが、この座標に当てはめると本来の方向から60度以上ずれて、能力(個性)の半分も「正しい方向」に生かし切れていなかったと思う。
これに気づいて大いに反省し軌道修正を図ったのがロンドンで過ごした、
40歳台である。「おれが、おれが」の我を極力なくして、人の話をよく聴いて、相手の悲しむ事を言わず行わず、極力喜んで貰えるように心がける。
これだけでも「60度の傾き」を若干上向きに修正できたのではと思う(現在も進行中である)。将来のことを考えすぎて悲観することより、先ずは目の前の出来る事、例えば身近なひとを喜ばせる事などから始めると必ず事は好転する。(天賦の才をこれ以上伸ばすことに時間を費やすより、これを正しい方向に転換すること。)
要は考え方(ハート)の切り換え次第である。自分は45歳過ぎで気づいたが、これ以降のベトナム・シンガポール・韓国で予想外の要職を拝命した。
この経験を40歳以上若い諸氏にお伝えしたくて追記させて頂いた。